なっちゃんのプロフィール
なっちゃんと申します(*´ω`*)
30代前半、東海地方生まれの、関西在住です。
2022年現在、アルバイトではありますが、大好きな糸の専門店で働かせてもらっています。
今の職場で働き始めてまだ半年、糸のことやものづくりのこと絶賛お勉強中です!☺
普段はほんとーーーーにゆるゆるした生活を送っており、
制作スタイルにもそのゆるさははっきり表れています🌸
そんなゆるゆる制作生活の様子や、身に着けた知識を記録に残していこうと、
2022年8月にブログを立ち上げました!
以下、かるーく生い立ちや過去のいろんな作品の写真を振り返ってみます↓↓↓
ちびっこ時代
田舎でのびのびと野生児として育ちました。
実家では自家菜園と竹林(1?)を所有しており、
文字通り野山を駆け回っていた幼少期でした(^^)/
幼稚園では、当時は珍しく絵画専門の先生が定期的に教えてくれていて、
その先生にたくさん褒めてもらったのをよく覚えています。
わたしのものづくり人生はここから始まったのかなーと思います。
小・中学生時代
運のいいことに、小学校・中学校ともに美術の先生に恵まれていました!
作れば褒めてもらえたので、かなり調子に乗っていた時期でもあります♪
当時の夢は「画家かイラストレーター」でした。
あまり写真が残っていなかったのですが、
中学校の美術部で描いた絵を見つけました↓↓↓
水彩画をメインに制作していましたね。
高校生時代
高校はなにを思ったのか、急に運動部に目覚めまして、
美術部ではなく硬式テニス部へ入部。
毎日ラケットを振り回していました☺
勉強をがんばる系の高校だったので、課題がとても多く、
部活と課題でいっぱいいっぱいでした。
そんな中でも、勉強に疲れると、絵を描いていたので
制作をストップしていたというわけではありません。
受験期になり、受ける大学の二次試験にデッサン兼水彩画みたいなのが必要になり、
受験の1か月前に急に近所の絵画教室に通いだしました。
その時の初期のデッサンが残っていました!
これよりは上達した状態で受験しました。
・・・・・・よく大学合格できたなって思います、はい。
大学時代
大学は美術の先生を養成する、某教育大学へ進学。
『美術の先生』って、自分の専門分野だけでなく、いろんな分野を子どもたちに教えないといけないので、絵画・彫刻・デザイン・工芸・現代アートなどなど・・・
授業でほんとうに様々な制作をさせてもらえました☺
ここでわたしは立体の制作にはまりました。
専門は工芸にすすみました。
クラフトとの出会いです。
研究室の教授や先輩たちに毎日刺激を受けていましたね。
このころ、組紐に興味をもって、一度挑戦しています。
しかし糸が当時のわたしにはとても高価なもので、
制作を続けるのが困難に。
途中で方針を変えまして、ペーパークラフトを卒業研究に選びました↓↓↓
なんだかよくわからない立体物を、色画用紙で作っていました☺
大きいものを制作した経験ができてとてもよかったです。
そして社会人へ
病気を途中でしたのですが、なんとか大学を卒業して、社会人へ。
仕事やプライベートではいろいろありましたが、ここでは割愛させてもらいます。
社会人になってから、やっぱり大学時代にあきらめた組紐や糸への思いが断ち切れずにいました。
手芸店へ行っては糸を眺めることが続いていました。
そんな時、母が若いころに使用していた棒針やかぎ針が実家のごちゃごちゃの中から出てきたのです。
もう母は編み物をしないので、捨てる!というので、
それを譲ってもらうことに。
試しに100均で毛糸を買ってきて、かぎ針編み基礎本を一冊購入、
自己流で編み物をはじめました。
モチーフを編んでみたくて、いきなり輪のつくり目から始めました。
今考えたら無謀です!鎖編みとか往復編みからやらんのかい!
でもそれまでの人生で、絵を描いたり彫刻したりペーパークラフトしたり、
手先を使うことはずっと継続していたので、できちゃったんです。
編み目の美しさや、色替えの楽しさ、間違えても何度でも編みなおしができること、
たくさん楽しさをここで知ってしまいました☺
そしてなんだかんだ編み物をずっと続けています。
念願だった糸の専門店で、アルバイトですが勤務することもできています。
ゆるゆるでも継続して制作しててよかったなと思います。
これからは、編み物だけでなく、手織りや組紐なんかにも挑戦してみたいです。
2024.3追記
このプロフィールを書いたあと、正社員登用されて忙しく働いていましたが、
諸事情により会社がなくなりました・・・かなしみです
今は事情によりお話しできませんが、落ち着いたらまたお話できたらいいなと思います。
まあでも、たくさん食べて寝て制作して、わたしはとても元気です!
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